176 研究系及び研究施設の現状
3-8 計算分子科学研究系
計算分子科学第一研究部門
岡 崎 進(教授) (2001 年 10 月 1 日着任)
A -1)専門領域:計算化学、理論化学、計算機シミュレーション
A -2)研究課題:
a) 溶液中における溶質分子振動量子動力学の計算機シミュレーション b) 溶液中におけるプロトン移動の量子動力学
c) 量子液体とその中での溶媒和に関する理論的研究 d) 水溶液中における両親媒性溶質分子の自己集合体生成 e) 超臨界流体の構造と動力学
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 分子振動ポピュレーション緩和や振動状態間デコヒーレンスなど,溶液中における溶質の量子動力学を取り扱うこ とのできる計算機シミュレーション手法の開発を進めている。これまですでに,調和振動子浴近似に従った経路積 分影響汎関数理論に基づいた方法論や,注目している溶質の量子系に対しては時間依存のシュレディンガー方程式 を解きながらも溶媒の自由度に対しては古典的なニュートンの運動方程式を仮定する量子−古典混合系近似に従っ た方法論を展開してきているが,これらにより,溶液中における量子系の非断熱な時間発展を一定の近似の下で解 析することが可能となった。特に前者の方法では個々の多フォノン過程を分割して定量的に表すことができ,これ に基づいてエネルギーの溶媒自由度への散逸経路や溶媒の量子効果などを明らかにしてきた。さらには,コヒーレ ント状態の動力学に関し,密度行列の非対角項の時間発展を追跡することにより量子ビートを観察し,位相緩和に ついても詳細な解析を行ってきた。また後者の方法では個々の溶媒分子の運動と溶質量子系とのカップリングを時 間に沿って観察することができ,これに基づいて,気相に特徴的な衝突過程による緩和が無極性溶質のような短距 離相互作用系に対しては液体においても支配的であることを示してきた。今年度は特に,溶質の状態間のデコヒー レンスが溶媒の運動により生じる過程を直接解析し得る方法論を確立すべく,様々な定式化を行った。
b) 量子−古典混合系近似に基づいて,水溶液中における分子内プロトン移動の量子動力学シミュレーションによる検 討を進めている。今年度は,状態間デコヒーレンスの速い系を有効に記述し得るサーフィスホッピングの枠組みの 中で,透熱表示によるシミュレーションに用いられる運動方程式の書き下し等,方法論の確立に努めた。モデル系に 対する予備的な計算では,振動励起に端を発する熱的な活性化過程を経るプロセスと,トンネリングによるプロセ スとが系の条件に応じて自然に生じるシミュレーションを実現している。これにより,プロトンの移動と溶媒分子 の運動との相関など,移動機構についての動的解析が可能となる。
c) 常流動ヘリウムや超流動ヘリウムなど量子液体の構造と動力学,そしてこれら量子液体中に溶質を導入した際の溶 媒和構造や動力学について,方法論の開発を含めて研究を進めてきている。前者については交換を考慮しない経路 積分モンテカルロ法や積分方程式論,そして経路積分セントロイド分子動力学法などを用いて解析を進め,ヘリウ
研究系及び研究施設の現状 177 ムの動的性質や溶媒和構造などを明らかにしてきている。一方,後者に対しては粒子の交換をあらわに考慮した上 で,溶液系の静的な性質の研究に適した形での経路積分ハイブリッドモンテカルロ法を提案しこれまでにすでに超 流動を実現し,不純物を含む溶液系へと展開してきている。
d)ミセルや二重層膜に代表されるような水溶液中における両親媒性溶質分子の集団的な自発的構造形成に対するシ ミュレーション手法を確立することを目的として,自由エネルギー計算を含めた大規模 MD 計算を行っている。こ れまでに,特に大規模な MD 計算を効率よく実行することを可能とするため,原子数にして百万個オーダーの計算 が可能な高並列汎用 MD 計算プログラムの開発を行ってきた。今年度は特に,これに基づいて,イオン性,非イオン 性の両親媒性分子が水溶液中に生成する球状ミセル,棒状ミセルなどに対して熱力学的積分法に基づいたシミュ レーションを行い,得られた自由エネルギーより安定性のミセルサイズ依存性の検討を行った。また,これらミセル の形成過程そのもののダイナミックスの検討も開始した。
e) 超臨界水の示す構造と動力学について,大規模系に対する分子動力学シミュレーションを実施し,臨界タンパク光 の発生に対応する強い小角散乱や臨界減速などを良好に再現した上で,分子論的な立場から詳細な検討を行ってき ている。今年度は,超臨界水中における親水性溶質分子の振動エネルギー移動過程について,平均場近似による量子 古典混合系近似に基づいたシミュレーションを実施し,緩和時間の密度依存性は見かけ上衝突過程を示唆するもの であることを再現した上で,シミュレーションによる直接観察から分子論的には実際はこれが非衝突的な過程に基 づいていることを明らかにした。
B -1) 学術論文
M. SATO and S. OKAZAKI, “A Study of Molecular Vibrational Relaxation Mechanism in Condensed Phase Based upon
Mixed Quantum-Classical Molecular Dynamics. I. A Test of IBC Model for the Relaxation of a Nonpolar Solute in Nonpolar Solvent at High Density,” J. Chem. Phys. 123, 124508 (10 pages) (2005).
M. SATO and S. OKAZAKI, “A Study of Molecular Vibrational Relaxation Mechanism in Condensed Phase Based upon
Mixed Quantum-Classical Molecular Dynamics. II. Noncollisional Mechanism for the Relaxation of a Polar Solute in Supercritical Water,” J. Chem. Phys. 123, 124509 (9 pages) (2005).
M. SATO and S. OKAZAKI, “Mixed Quantum-Classical Molecular Dynamics Study of Vibrational Relaxation of CN– Ion in Water: An Analysis of Coupling as a Function of Time,” J. Mol. Liq. 119, 15–22 (2005).
B -4) 招待講演
岡崎 進 , 「ナノ分子集合体構造形成の分子動力学シミュレーション」, ナノスケール秩序構造形成への計算機科学の活 用 , 厚木 , 2005年 1 月 .
岡崎 進 , 「化学・高分子科学と計算科学」, J -PA R C の中性子科学と計算科学 , つくば , 2005 年 3月 .
S. OKAZAKI, “Molecular dynamics study of vibrational energy relaxation and dynamics of coherence of solute molecule in
solution,” EMLG/JMLG 2005, Prague (Czech), September 2005.
S. OKAZAKI, “Path integral influence functional theory for vibrational energy transfer and dynamics of coherence between the states for a solute in solution,” Pacifichem2005, Honolulu (U.S.A.), December 2005.
178 研究系及び研究施設の現状 B -7) 学会および社会的活動
学協会役員、委員
分子シミュレーション研究会幹事 (1998- ). 理論化学研究会世話人会委員 (2002- ). 溶液化学研究会運営委員 (2004- ). 学会の組織委員
第 19回分子シミュレーション討論会実行委員長 (2005). 文部科学省、学術振興会等の役員等
日本学術振興会第 139委員会委員 (2000- ).
日本学術振興会科学研究費委員会専門委員 (2004-2005).
総合科学技術会議分野別推進戦略(情報通信分野)W G 委員 (2005- ). 学会誌編集委員
分子シミュレーション研究会「アンサンブル」, 編集委員長 (2004- ).
B -8) 他大学での講義、客員
東京大学教養学部 , 「熱力学 B 」, 1998年 4月 - .
金沢大学 , 総合科目「コンピュータにより拓かれた新しい科学」, 2005年 12月 21 日 .
C ) 研究活動の課題と展望
溶液のような多自由度系において,量子化された系の動力学を計算機シミュレーションの手法に基づいて解析していくため には,少なくとも現時点においては何らかの形で新たな方法論の開発が要求される。これまでに振動緩和や量子液体につ いての研究を進めてきたが,これらに対しては,方法論の確立へ向けて一層の努力を続けるとともに,すでに確立してきた手 法の精度レベルで解析可能な現象や物質系に対して具体的に計算を広げていくことも重要であると考えている。また,電子 状態緩和や電子移動反応への展開も興味深い。
一方で,超臨界流体や生体系のように,古典系ではあるが複雑であり,また巨大で時定数の長い系に対しては計算の高速 化が重要となる。これには,方法論そのものの提案として実現していく美しい方向に加えて,グリッドコンピューティングなど 計算アルゴリズムの改良やさらには現実の計算機資源に対する利用効率の高度化にいたるまで様々なレベルでのステップ アップが求められる。このため,複雑な系に対する計算の実現へ向けた現実的で幅広い努力が必要であるとも考えている。